「奥石西の芸能と民謡」 参考文献


 明治40年神社法制定によって下道川の大元社は、出合原の松琴山八幡宮に合祀されたがその後も9月28日の例祭日には部落では神楽を奉納して親戚縁者を招待して懇親を深めた。現在は11月2日に改正されている。
 ここの神楽社中の結成は青木繁太郎氏の話によると明治40年頃崎田に養子に来た東仙道出身の栗栖清市氏が馬の谷から六調子を習って帰って教えたのが始まりという。
 そして大正5、6年頃、経営悪化の為に衣装、道具一式を旧二川村板井川社中に売り渡して解散してしまった。
 その後再び結成の話が持ち上がり、昭和23年河本房市、川口哲、青木繁太郎の各氏を師匠として習い、下道川小学校の改築竣工式に神樂を舞ったのが始まりで引続いて毎年例大祭日に奉納していたが昭和27年旧真砂村の斉藤類次氏を招いて八調子を習い、28年大元社を還元して奉納神楽を舞った。その時、土井優斉氏の10万円を始めとして一般より多額な寄附があったのを基本金として社中の株式によって衣装道具を購入して一式を取り揃え、本格的に道川神楽社中が発足したのである。
 そしてその後、ますます活発し、匹見町内はもとより遠く広島市内まで招待されるに至っている。又、現在後継者育成の為、道川小学校の生徒に課外活動として教習中で昭和49年12月の学習発表会には、四神、八幡、を舞って盛大な拍手を受けたものである。尚、塵輪、日本武尊、鐘馗、大蛇は演技、衣装共に石見神楽社中五指に数えられている。

昭和35年 三隅の神楽大会「鐘馗」

昭和35年 道川大元神社「鐘馗」